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オーストラリア大学院留学日記
by yoshi_taka1009
ICELANDia
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オーストラリア大冒険2

セントラルオーストラリア・ウルル編


せっかく豪州に来たのに、世界の中心で愛を叫ばないで日本に帰っても良いのか!!??そう考えた僕は、一人、アボリジニの聖地、ウルルへ旅立った。え?ウルルって、ただの岩じゃん。そう思っていた自分は浅かった。


結論から言おう。ウルル、ファンタスティック!


まず最初に、アボリジニ文化センターに寄った。僕はアボリジニアートが結構好きで、何枚か購入した。彼らの絵は独特で、点々を積み重ねて、カンガルーだったり、とかげだったり、足跡だったり、その土地でしかみられない物を対象に描く。中にはスピリチュアルな抽象画もあっておもしろい。また、アボリジニの人はいまだに採集をして生計を立てているので、そのために使う道具なども展示されていた。ツアーコンダクターがアボリジニの文化的差異についても話してくれた。僕らは普通目と目を合わせて人と話すが、彼らは横に並びながら談笑する、など、びっくりする話をたくさんしてくれた。


次に、ウルル周辺を散策した。アボリジニ文化保存のため、ウルル登頂はなるべく禁止されている。映画で骨の灰を撒くシーンがあるが、あれはアボリジニの禁を破って登頂しているのだ。アボリジニ文化に対して、かなりの失礼なのだ。そして危険極まりない。毎年、何人も登山中に亡くなっている。登山は出来ないが、ウルルの周りを日の出と共に一周して歩いてまわった。聖地であるため、写真を禁止しているところもあり、始めてみる光景に目を奪われた。特に、カエルの鳴き声が幻想的なムードを演出し、水が湧き出ている場所があった。聖地にも指定してあり、なんともいえない荘厳な雰囲気に包まれていた。写真や映像では決して描ききれない「何か」を感じさせた。途中、アボリジニ壁画や女性を祭る岩などもあった。岩の形から何かの動物を類推したりしているようだ。


オルガ郡系にも寄った。ウルルは一枚岩としては世界最大だが、連なる岩山としては、オルガの方がずっとスケールが大きく、印象的だった。日の入り時の夕焼けに映えるオルガは雄大で、気が引き締まる感じがした。元々、セントラルオーストラリアに来た理由は、地平線に沈む太陽を見てみたかったからなのだ。西に沈む太陽は空を真っ赤に染め上げていた。そう、空が燃えていた。あまりの美しさに、僕はその場に呆然と立ち尽くしていた。毎日この雄大な空を拝んでいるアボリジニの人々は、きっと知っているのだ。太陽の偉大さを。


この旅では、アボリジニ文化に相当触れる事が出来た事が嬉しかった。長澤まさみ、ではないが、彼らの自然に対する考え方などに興味を持つようになった。ウルルはアボリジニの聖地であり、精神的支柱である事の意味が、うっすらとだがわかったような気がした。彼らから学ぶ事は多い、それだけは確かだ。
# by yoshi_taka1009 | 2006-12-13 22:49

オーストラリア大冒険1

タスマニア編


自然を守る勉強がしたい。それが豪州へ修士号を取りに来た理由だった。しかし、このままでは豪州の大自然を堪能せずに終わってしまうのでは!?危機感に駆られた僕は、クラスメイトであり、戦友でもあるタイ人ノップと共にタスマニアツアーへ参加したのであった。


結論から言おう。タスマニア、最高。


特に印象的だったのは、フレシネ国立公園のワイングラスベイとクレイドル山だった。ワイングラスベイでの登山は、急な岩山をよじ登っていくという危険かつ体力を消耗するツアーだったが、登頂後に山頂から見下ろす景色は圧巻だった。海の青さ、山の緑、空の広さ、何を取ってもパーフェクトだ。


クレイドル山は前日に雪が降ったおかげでとても綺麗な雪景色の中登山できた。そう、夏なのに雪が降ったのだ。タスマニアはキャンベラより南に位置するため、かなり気温が低いのだが、さすがに夏に雪が降ったのでしっかりニュースで報道されていた。登山中に目にする数々の湖が青く透き通っていて、幻想的な雰囲気をかもし出していた。僕らはまったく手のつけられていない美しい景観に心を奪われていた。これぞ守るべき自然!環境マネジメントを勉強できて良かった。


ツアー中、日経ブラジル3世の女の子二人と仲良くなった。一緒に夕飯を作ったりもした。そういった中で、彼女らの祖父母がブラジルに移民する際、どういった仕打ちを受けたのか、教科書には載っていない事実をたくさん教えてくれた。政府にだまされ、ブラジルでも苦労を重ねたそうだ。また、そのうちの一人は日本在住で、ソニーの工場で働いていた。日系ブラジル人が単純労働者として日本にたくさんいる事など、知りもしなかった。かなりショックだった。


もう一つ感じたことは、同じ日本人の血を受け継いだ彼女らは、僕ら日本で育った日本人とは文化も考え方も全然違うのだ。まず、ブラジル人だけあって、サッカーの話になると興奮して話す。それから、少々の日本語はわかるらしく、「あー、かわいーねー」とか、小さい頃によく祖父母から聞いた言葉を覚えているのだが、基本的に日本語は全く話せず、ホルトガル語を話す。日本人のように、愛想笑いとか一切しない。笑いたいときにだけ笑う。全然違う。でも、やはり顔だけは日本人に近いので、どことなく親近感を持ってしまうし、それが彼女らと仲良くなった理由なのだろう。


ツアー中は、いろいろあった。まず、自動車が森の中でパンクした。行きかう車と衝突しないよう、ツアーのメンバー達は交通整理に明け暮れた。なかなか止まってくれない車も多く、体を張って止めにかかったら、皆から爆笑された。「ナイスカーストップ、よし!」。冗談まじりにイギリス人達からお褒めの言葉を。。。あとは、対向車線から、牛の大群が来た事もあった。ツアーコンダクターは、「よくある事だ」と言っていた。タスマニア文化に触れた気がした。


極めつけは、ツアーコンダクターのキャラだ。濃い。桟橋をわたる時に、念のために一人ずつ渡ってください、という注意書きがあるのにもかかわらず、わっさわっさと橋の上で橋を揺らしまくる不届きものがいた。誰だ、このモラルのない観光客は!と思ったのだが、よく見ると僕らを先導するツアーマネジャーではないか!!って、日本じゃありえないでしょ、普通。注意する側でしょ、ねえ。「ゆーあーくれいじー」とだけ言っておいたけど、まあ、このツアーマネジャー、他にもいろいろと問題がある人だったので、あとは省略。皆であとで陰口たたきまくっておいた。


他には、魔女の宅急便のモデルになったといわれるパン屋に行ったり(気球の歩き方ではデマだと書いてあるが、、)、海際の砂漠で昼寝したり(僕だけだが)、カタラクトゴージで自然を満喫したりした。ワイルドライフパークでは、カンガルーが逃げずに寄ってきた。タスマニアデビルがガツガツ肉を食べ争っている光景も写真に収めた。まあ大方、30分くらいの森の散策が一番多かった。


総括すると、タスマニアは自然の美しい島だった。時間の流れもゆっくりで、そこに暮らす人々も寛大だ。国民性は、およそその国の地形から影響を受けるものだ、と司馬遼太郎は言ったが、なるほど、タスマニアの大自然の中で育った人々は、心も広くなるようだ。空が、広いのだ。僕はこの土地が、いつまでもこのままであってほしい、そう最後に思ったのだった。
# by yoshi_taka1009 | 2006-12-13 22:48

最後の晩餐

一生の友達を作る。
留学生活のひとつの大きな目標だった。

ただでさえ人見知りの激しい自分に、外国人の気の合う友達などできるのだろうか?

そんな不安でいっぱいだった。

でもそれは、杞憂に終わった。

寮のキッチンで知り合った友人達は、二年半の交流を通して一生の仲間と呼べるようになった。






何度同じ食卓を共にしたのだろうか。

皆で、いろんな事を話した。

将来の事、家族、文化の違い、勉強の愚痴、、、、。

僕にとって、とても、とても、ナイスなフレンズ。

友達を見れば、その人がわかる、とよく言うが、もし彼らを見て自分を判断してもらえるのであれば、僕にはもったいないくらいだ。







そんな友人達全員で集まれる最後の晩餐があった。

みんな相変わらずで、ピザを食べながら、あーでもないこーでもないとはしゃいで話していた。

始終、僕は寂しかった。

出会いと別れは必然かもしれないけれど、この日だけは来てほしくない、ずっとそう思っていた。






でも、僕は彼らに会えて本当に良かった。

僕の留学生活は、彼らなしでは語れない。

思い出がいっぱいありすぎて、重すぎて、これじゃ飛行機が重さに耐えられずに墜落してしまいそうだ。




また十年後に再会できた時、変わらぬ笑顔で、またくだらない話ができたらいいな、そう心から思った。
# by yoshi_taka1009 | 2006-11-24 17:47

十日遅れの誕生パーティー

十日遅れの誕生パーティー_b0008852_1513142.jpg




寮の後輩のHろという聖人君子が、吾輩のために十日遅れの誕生日パーティーを開いてくださった。あなたの有価証券、一万株ください。ホント、ナイスです。

そして、それは二年半の留学生活初!
日本人の、日本人による、日本人のためのすきやきパーティーだったのだ!

昔から寮内の日本人の交流があまりにも少なかったので、一度やってみたい企画だった。

和歌山県代表二人による味付けによって独特の関西風味が演出され、参加者六名はふるさとにっぽんを思い出しながら、涙ながらに箸に口をつけたのだった。




うまい、犯罪的に。




そして日本語に飢えた若き日本の男女達は、しばらくぶりの日本語による談笑に熱中した。

僕は、聞いてみた。




「今までで、一番印象に残っている誕生日は?」




「あたしー、実家の裏が禿げ山なんですけど、小三くらいの時、誕生日にそこで遊んでたんですよ。そしたらエロ本発見しちゃって。これは教育上、よくないぞお、と思ってビリビリやぶってたんですよ、ずっと友達と。そしたら夜遅くなっちゃって、親が心配して探しまわっちゃって、わたしが見つかった時にひっぱたかれちゃって。だから、今でもすっごく覚えてるんですよ、その誕生日の事」














、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、。







真顔で言うので、かなり笑ってしまった。

やっぱり、この寮に来る日本人は昔からどこか変だ。

でも逆にそれが気に入っている。




パーティーでは、ケーキも出現。好物の白ワインも!

感無量。

ピアノを弾いてくれた子も。

感動の嵐。





僕のために集まってお祝いしてくれた事が、とてつもなく嬉しかった。

スマップ風に言えば、僕の胸のやらかい所を優しく包みこむ感じ。

あまりにもかわいすぎる寮の後輩達に、乾杯。
# by yoshi_taka1009 | 2006-10-20 15:02

学科対抗サッカーバトル!

学科対抗サッカーバトル!_b0008852_23123098.jpg


学部内で学科対抗サッカー大会があった。



試合に出る人も、出ないで応援に来る人も合わせて総勢40名を超えた。
女性のプレーヤーも多く、国籍も様々。にぎやかなイベントとなった。



僕は環境マネジメント科代表。敵は国際経済科!

この野郎、外部性や市場の失敗を考慮しやがれ!

専門柄、そんな冗談も飛び交いつつ、ゲームは始まった。



なんと、皆、結構うまい。

ぼくなんか小中で8年サッカーをやり、豪州でも毎週練習してたのに、そのくらいのレベルのプレーヤーがごろごろいる。

試合は白熱、味方がボールを持てば、声援が鳴り響く。





と、こぼれだまが足元に。

カマル(岬くん!)、ワンツーだ!

パスは通り、ボールは再び僕のところへ。

ゴール前、目の前の敵は二人!

ガラスの貴公子(僕)のフェイントは相手ディフェンダーを翻弄し、可憐に抜き去る。

残る敵はゴールキーパーのみ!

味方の声援は絶頂に達する!

いけえー!よし!

ネオタイガーシュートだああああああああ!



















ぱしゅっ。(ゴールネットが揺れる音)









ピッピー!ゴールを告げる審判の笛が鳴り響く。

そしてそのまま前半終了。

会場のよしコールは鳴り止まない。













俺、かっこよすぎる。









前回の日記とは大違いだ。

ああ、そうか、小中の厳しい練習は、この日のためにあったんだね、ボブ。。。

あんまり気分が良かったので、活躍できなかった後半は省略し、美談のまま日記を終わりたい。。。




とまあ、試合結果はともあれ、普段交流の機会があまりないクラスメイトとも仲良くなれたし、素敵な思い出となった。

卒業間近、皆といっぱい走って、いっぱい声出して、一緒に笑う、そんな楽しい日を過ごせた事が何より嬉しかった。
# by yoshi_taka1009 | 2006-10-15 23:12