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オーストラリア大学院留学日記
by yoshi_taka1009
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今日、僕は卒業した

英語がわからず、落ち込んだ事もあった。

レポートの期限にせまられて、徹夜を繰り返した事もあった。

あまりのストレスで体を壊し、蕁麻疹に悩まされた事もあった。

人間関係がこじれて、勉強が手に付かなくなった時もあった。

就職活動に時間を取られて、単位を落としそうになった事もあった。








どんなにつらくても、いかなる状況においても、僕は前へ進んだ。

文字通り、歯を食いしばった。

そう、すべては卒業のために。

そして今日、僕は卒業した。

二年半の努力は、今日、この日のためにあったのだ。

そう思えるような、素敵な卒業式だった。







式では、ハリーポッター風の服を身にまとい、博士帽をかぶった。

「ミスター よしたきゃ、しみーじゅ」

英語なまりで僕の名前が呼ばれた。

僕はスタスタ歩み出て、握手を交わし、大学長から卒業証書を受け取った。

「おめでとう」

大学長の、ふいの一言は胸に染みた。

「ありがとう、おっさん」







卒業式後は、フェナーホールの友人達が笑顔で迎えてくれた。

思い出の場所に行き、何枚も写真を撮った。

クラスメイトとも最後の別れを惜しんだ。

今まで何人もの友人と出会いと別れを繰り返してきたが、まさか自分が見送られる側になる日が来るなんて。

少し信じられなかった。








だが、別れのさみしさと共に湧き上がる感情は、感謝の気持ちだけだった。

父、母、祖父母、今日までどうもありがとう。

フェナーの皆、お世話になりました。

クラスメイトの戦友達、サンキューべりマッチ。

そして、今日まで僕を応援してくれた友達の皆、本当にどうもありがとう。

励ましのメール、いつも心の支えでした。






有森裕子が銀メダルを取った時、

「自分を褒めてあげたい」

と言っていたが、

そんな感じです。

今日だけは、自分を褒めてあげたい。

人生で初めて全力を尽くしきった二年半でした。

我が留学に悔いなし。









明日、帰国します。
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by yoshi_taka1009 | 2006-12-14 22:56

オーストラリア大冒険5

キャンベラ編


さて、タスマニア、ウルル、グレートバリアリーフ、シドニーの旅行から帰ってきて思ったのは、「やっぱりキャンベラが一番」という事だ。木ばっかり生えてるとんでもない田舎(一応首都です・昔シドニーとメルボルンが首都争いをしたときに決着が付かず、両者の間を取ってキャンベラになったらしい)なのだが、僕にとっては第二の故郷であり、フェナーホール(僕の寮)はもはや我が家なのだ。散歩していていつも思うのは、街が自然と同化しているという事だ。僕は9階に住んでいるので、そこから景色を見下ろせるからわかるのだが、個々の家々が緑に埋もれているのだ!よく手入れされている庭がほとんどで、まるで楽園のような光景が広がっている。僕はキャンベラの街が好きだ。


しかし、二年半も住んでいて、観光メインの国会議事堂に行った事がなかった。戦争博物館(日本は豪州も侵略している・豪州が唯一本土で戦ったのは日本軍だけ・日本人で知ってる人は少ない)には二回、国立博物館(オーストラリの歴史は400年足らず・歴史的展示物は限られている)には一回、国立美術館一回、そしてグリフィン湖・国立ボタニックガーデンには何度も足を運んでいたのだが、議事堂は行ったことがない。まぬけだ。という事で、卒業式一日前に単身乗り込んできた。上院は緑一色、下院は赤一色だった。どうやら建築資源の当時の予算上、そうならざるを得なかったようだ。それでも日本の議事堂と同じく荘厳な雰囲気があったし、例のオーストラリアの紋章がかっこよくフロントに飾られていた。


キャンベラは奈良とも姉妹都市の関係にあり、毎年キャンドルフェスティバルも開かれる。また、キャンベラは政治と教育の町と言われている。なるほど、議事堂と母校オーストラリア国立大学、それから国立図書館がそびえたっている。僕は勉学を修めるにあたって、キャンベラで良かったと思うのは、そうした環境にある事と、田舎で勉強以外に何もする事がないという二つの要素があるからだ。自然の中で育った僕にはキャンベラはどこか故郷に共通したものを感じさせる。スペースのとり方も大胆で、おおらかな気分になる。そして、空が広く、夜になるとどうしようもないくらい綺麗な星空が見える。


何度も言う、僕はキャンベラの町が好きだ。
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by yoshi_taka1009 | 2006-12-13 22:52

オーストラリア大冒険4

シドニー・ブルーマウンテン編


シドニーへ来てすぐに訪れたのは、当然、オペラハウスとハーバーブリッジ。僕は何度も来てるのだが、さすがシドニーの象徴的存在だけあって、見ごたえは十分だ。友達はシドニーの町並みに関心があったので、僕も歩いた事のない道を歩いたりしたが、どこもヨーロッパとはまた違ったシドニー独特の雰囲気があって、僕は結構好きだ。特にダーリンハーバー付近の噴水等に工夫がしてあって、斬新なデザインが印象的だ。


二日目はブルーマウンテンとジェノラン洞窟へ行った。ブルーマウンテンも二回目だが、いつ行ってもあの脅威の大自然には驚嘆するばかりだ。が、ジェノラン洞窟は初めてだったし、一時間半にわたる鍾乳洞見学には感動を正直感動を覚えた。洞窟内は見学者ようにきちんとライトアップされていて、安心して廻れた。一言で言えば、自然が作り出したアートだった。何千年かかけて、少しずつ鍾乳洞が形成されたのだと、ツアーガイドが解説していた。歴史の長さと自然の雄大さが感じずにはいられない時間を過ごした。


そうそう、余談だが、ツアーガイドによると、オーストラリアの紋章にエミューとカンガルーが選ばれているのだが、理由があるのだそうだ。二年半の間、なぜその二種が選ばれたのかずっと不思議だった。ここは、カンガルーとコアラだろ、とか思っていた。甘かった。エミューとカンガルーはその骨格上、後ろに後戻りできない体のしくみになっている。そこで、それにちなんで、オーストラリア政府も、いつも前に進んでいこう、というわけだ。ちょっといい話だ。


三日目はサンデーマーケットでお土産を買いあさり、フィッシュマーケットで昼ごはんを食べる。ロブスターやらえびやら貝やら新鮮でおいしいものばかりだったが、結局すしが一番うまいという見解で全員一致した。午後はオーストラリア博物館へ。オーストラリアの鉱物資源から始まり(アメジスト原石が安く売っていたので買ってしまった)、オーストラリアの鳥、野生動物の写真(賞を取ったものばかりで、凄かった)、そしてアボリジナルアートを堪能した。オーストラリアといえば、いままでカンガルーとコアラだと思っていたが、これからは違った話もできるようになれそうだ。


四日目、友達が日本へ帰った後で、一人水族館と海事博物館へ行った。グレートバリアリーフで珊瑚の美しさに取り付かれた事もあり、珊瑚についてもっと知りたくなったのだ。珊瑚にはたくさん種類があるのだが、どれも大体は藻類が寄生しており、太陽の光をエネルギーに代え、プランクトンを食べる。そう、珊瑚は植物ではなく、動物だったのだ。そして、ニモで一躍有名になったクマノミなどが棲家にしているのだ。アネモネやクラゲも一応珊瑚の仲間らしい。熱帯魚と珊瑚、アネモネが一同にそろうと、色の運動会というか、その鮮やかでカラフルな色彩に目を奪われない人はいないのではないだろうか。他にも、サメやらエイやらオットセイやらナポレオンフィッシュやらの餌付けまで見れた。


他にシドニーで今まで行った場所といえば、チャイナタウン、ルナパーク、紀伊国屋書店、タロンガ動物園などであったが、今回はまた違ったシドニーの一面を見る事ができた。都会には都会のよさがある事を、シドニーの街は教えてくれた。
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by yoshi_taka1009 | 2006-12-13 22:50

オーストラリア大冒険3

ケアンズ周辺・グレートバリアリーフ編


「っていうか、俺らオージーに行くから」


そんなメールをもらったのは今年の半ばだろうか。高校の親友二人が卒業式前にやってきた。目指すはグレートバリアリーフただ一つ!ケアンズ空港で落ち合い、アーリービーチへ向けて12時間のバス旅。しかし、久しぶりの会話は弾みに弾んで、時間は瞬く間に流れていった。


そして、ホワイトヘブンズビーチへ!いやほんと、天国みたいでした。砂に不純物がまったく混じってないので、ビーチが真っ白。海もどこまで行っても透き通っていて、あまりにも美しい。パラダイスと呼ぶにふさわしい、これぞリゾートなのであった。ただ、クラゲ防止のために全身タイツを着用せねばならず、ビーチ沿いには大量のモジモジ君が発生していた。熱く愛を語り会うカップルも、全身タイツのモジモジ君。そのギャップがたまらなく好きでした。野郎三人の僕らは完全に浮いているので、質全的に誰かを砂浜に埋める事になった。もちろん、僕が埋められました。


二日目は珊瑚を見に、グレートバリアリーフで初のシュノーケリング!顔を水面下にもぐらせてみると、そこには竜宮城が!珊瑚がところせましと色とりどりにその美しい姿を輝かせていた。更に、もう手が届く範囲で熱帯魚達は優雅に泳いでいるではありませんか!おいおい、ニモがたくさんいるよ。珊瑚と共生している様子が手に取るようにわかるのだ。それくらい海は透き通っていた。まさかまさか、これほどまでに綺麗な光景を拝めるとは思ってもみなかった。この旅でベストワンの思い出となった。
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by yoshi_taka1009 | 2006-12-13 22:50

オーストラリア大冒険2

セントラルオーストラリア・ウルル編


せっかく豪州に来たのに、世界の中心で愛を叫ばないで日本に帰っても良いのか!!??そう考えた僕は、一人、アボリジニの聖地、ウルルへ旅立った。え?ウルルって、ただの岩じゃん。そう思っていた自分は浅かった。


結論から言おう。ウルル、ファンタスティック!


まず最初に、アボリジニ文化センターに寄った。僕はアボリジニアートが結構好きで、何枚か購入した。彼らの絵は独特で、点々を積み重ねて、カンガルーだったり、とかげだったり、足跡だったり、その土地でしかみられない物を対象に描く。中にはスピリチュアルな抽象画もあっておもしろい。また、アボリジニの人はいまだに採集をして生計を立てているので、そのために使う道具なども展示されていた。ツアーコンダクターがアボリジニの文化的差異についても話してくれた。僕らは普通目と目を合わせて人と話すが、彼らは横に並びながら談笑する、など、びっくりする話をたくさんしてくれた。


次に、ウルル周辺を散策した。アボリジニ文化保存のため、ウルル登頂はなるべく禁止されている。映画で骨の灰を撒くシーンがあるが、あれはアボリジニの禁を破って登頂しているのだ。アボリジニ文化に対して、かなりの失礼なのだ。そして危険極まりない。毎年、何人も登山中に亡くなっている。登山は出来ないが、ウルルの周りを日の出と共に一周して歩いてまわった。聖地であるため、写真を禁止しているところもあり、始めてみる光景に目を奪われた。特に、カエルの鳴き声が幻想的なムードを演出し、水が湧き出ている場所があった。聖地にも指定してあり、なんともいえない荘厳な雰囲気に包まれていた。写真や映像では決して描ききれない「何か」を感じさせた。途中、アボリジニ壁画や女性を祭る岩などもあった。岩の形から何かの動物を類推したりしているようだ。


オルガ郡系にも寄った。ウルルは一枚岩としては世界最大だが、連なる岩山としては、オルガの方がずっとスケールが大きく、印象的だった。日の入り時の夕焼けに映えるオルガは雄大で、気が引き締まる感じがした。元々、セントラルオーストラリアに来た理由は、地平線に沈む太陽を見てみたかったからなのだ。西に沈む太陽は空を真っ赤に染め上げていた。そう、空が燃えていた。あまりの美しさに、僕はその場に呆然と立ち尽くしていた。毎日この雄大な空を拝んでいるアボリジニの人々は、きっと知っているのだ。太陽の偉大さを。


この旅では、アボリジニ文化に相当触れる事が出来た事が嬉しかった。長澤まさみ、ではないが、彼らの自然に対する考え方などに興味を持つようになった。ウルルはアボリジニの聖地であり、精神的支柱である事の意味が、うっすらとだがわかったような気がした。彼らから学ぶ事は多い、それだけは確かだ。
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by yoshi_taka1009 | 2006-12-13 22:49

オーストラリア大冒険1

タスマニア編


自然を守る勉強がしたい。それが豪州へ修士号を取りに来た理由だった。しかし、このままでは豪州の大自然を堪能せずに終わってしまうのでは!?危機感に駆られた僕は、クラスメイトであり、戦友でもあるタイ人ノップと共にタスマニアツアーへ参加したのであった。


結論から言おう。タスマニア、最高。


特に印象的だったのは、フレシネ国立公園のワイングラスベイとクレイドル山だった。ワイングラスベイでの登山は、急な岩山をよじ登っていくという危険かつ体力を消耗するツアーだったが、登頂後に山頂から見下ろす景色は圧巻だった。海の青さ、山の緑、空の広さ、何を取ってもパーフェクトだ。


クレイドル山は前日に雪が降ったおかげでとても綺麗な雪景色の中登山できた。そう、夏なのに雪が降ったのだ。タスマニアはキャンベラより南に位置するため、かなり気温が低いのだが、さすがに夏に雪が降ったのでしっかりニュースで報道されていた。登山中に目にする数々の湖が青く透き通っていて、幻想的な雰囲気をかもし出していた。僕らはまったく手のつけられていない美しい景観に心を奪われていた。これぞ守るべき自然!環境マネジメントを勉強できて良かった。


ツアー中、日経ブラジル3世の女の子二人と仲良くなった。一緒に夕飯を作ったりもした。そういった中で、彼女らの祖父母がブラジルに移民する際、どういった仕打ちを受けたのか、教科書には載っていない事実をたくさん教えてくれた。政府にだまされ、ブラジルでも苦労を重ねたそうだ。また、そのうちの一人は日本在住で、ソニーの工場で働いていた。日系ブラジル人が単純労働者として日本にたくさんいる事など、知りもしなかった。かなりショックだった。


もう一つ感じたことは、同じ日本人の血を受け継いだ彼女らは、僕ら日本で育った日本人とは文化も考え方も全然違うのだ。まず、ブラジル人だけあって、サッカーの話になると興奮して話す。それから、少々の日本語はわかるらしく、「あー、かわいーねー」とか、小さい頃によく祖父母から聞いた言葉を覚えているのだが、基本的に日本語は全く話せず、ホルトガル語を話す。日本人のように、愛想笑いとか一切しない。笑いたいときにだけ笑う。全然違う。でも、やはり顔だけは日本人に近いので、どことなく親近感を持ってしまうし、それが彼女らと仲良くなった理由なのだろう。


ツアー中は、いろいろあった。まず、自動車が森の中でパンクした。行きかう車と衝突しないよう、ツアーのメンバー達は交通整理に明け暮れた。なかなか止まってくれない車も多く、体を張って止めにかかったら、皆から爆笑された。「ナイスカーストップ、よし!」。冗談まじりにイギリス人達からお褒めの言葉を。。。あとは、対向車線から、牛の大群が来た事もあった。ツアーコンダクターは、「よくある事だ」と言っていた。タスマニア文化に触れた気がした。


極めつけは、ツアーコンダクターのキャラだ。濃い。桟橋をわたる時に、念のために一人ずつ渡ってください、という注意書きがあるのにもかかわらず、わっさわっさと橋の上で橋を揺らしまくる不届きものがいた。誰だ、このモラルのない観光客は!と思ったのだが、よく見ると僕らを先導するツアーマネジャーではないか!!って、日本じゃありえないでしょ、普通。注意する側でしょ、ねえ。「ゆーあーくれいじー」とだけ言っておいたけど、まあ、このツアーマネジャー、他にもいろいろと問題がある人だったので、あとは省略。皆であとで陰口たたきまくっておいた。


他には、魔女の宅急便のモデルになったといわれるパン屋に行ったり(気球の歩き方ではデマだと書いてあるが、、)、海際の砂漠で昼寝したり(僕だけだが)、カタラクトゴージで自然を満喫したりした。ワイルドライフパークでは、カンガルーが逃げずに寄ってきた。タスマニアデビルがガツガツ肉を食べ争っている光景も写真に収めた。まあ大方、30分くらいの森の散策が一番多かった。


総括すると、タスマニアは自然の美しい島だった。時間の流れもゆっくりで、そこに暮らす人々も寛大だ。国民性は、およそその国の地形から影響を受けるものだ、と司馬遼太郎は言ったが、なるほど、タスマニアの大自然の中で育った人々は、心も広くなるようだ。空が、広いのだ。僕はこの土地が、いつまでもこのままであってほしい、そう最後に思ったのだった。
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by yoshi_taka1009 | 2006-12-13 22:48