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オーストラリア大学院留学日記
by yoshi_taka1009
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オーストラリア大冒険1

タスマニア編


自然を守る勉強がしたい。それが豪州へ修士号を取りに来た理由だった。しかし、このままでは豪州の大自然を堪能せずに終わってしまうのでは!?危機感に駆られた僕は、クラスメイトであり、戦友でもあるタイ人ノップと共にタスマニアツアーへ参加したのであった。


結論から言おう。タスマニア、最高。


特に印象的だったのは、フレシネ国立公園のワイングラスベイとクレイドル山だった。ワイングラスベイでの登山は、急な岩山をよじ登っていくという危険かつ体力を消耗するツアーだったが、登頂後に山頂から見下ろす景色は圧巻だった。海の青さ、山の緑、空の広さ、何を取ってもパーフェクトだ。


クレイドル山は前日に雪が降ったおかげでとても綺麗な雪景色の中登山できた。そう、夏なのに雪が降ったのだ。タスマニアはキャンベラより南に位置するため、かなり気温が低いのだが、さすがに夏に雪が降ったのでしっかりニュースで報道されていた。登山中に目にする数々の湖が青く透き通っていて、幻想的な雰囲気をかもし出していた。僕らはまったく手のつけられていない美しい景観に心を奪われていた。これぞ守るべき自然!環境マネジメントを勉強できて良かった。


ツアー中、日経ブラジル3世の女の子二人と仲良くなった。一緒に夕飯を作ったりもした。そういった中で、彼女らの祖父母がブラジルに移民する際、どういった仕打ちを受けたのか、教科書には載っていない事実をたくさん教えてくれた。政府にだまされ、ブラジルでも苦労を重ねたそうだ。また、そのうちの一人は日本在住で、ソニーの工場で働いていた。日系ブラジル人が単純労働者として日本にたくさんいる事など、知りもしなかった。かなりショックだった。


もう一つ感じたことは、同じ日本人の血を受け継いだ彼女らは、僕ら日本で育った日本人とは文化も考え方も全然違うのだ。まず、ブラジル人だけあって、サッカーの話になると興奮して話す。それから、少々の日本語はわかるらしく、「あー、かわいーねー」とか、小さい頃によく祖父母から聞いた言葉を覚えているのだが、基本的に日本語は全く話せず、ホルトガル語を話す。日本人のように、愛想笑いとか一切しない。笑いたいときにだけ笑う。全然違う。でも、やはり顔だけは日本人に近いので、どことなく親近感を持ってしまうし、それが彼女らと仲良くなった理由なのだろう。


ツアー中は、いろいろあった。まず、自動車が森の中でパンクした。行きかう車と衝突しないよう、ツアーのメンバー達は交通整理に明け暮れた。なかなか止まってくれない車も多く、体を張って止めにかかったら、皆から爆笑された。「ナイスカーストップ、よし!」。冗談まじりにイギリス人達からお褒めの言葉を。。。あとは、対向車線から、牛の大群が来た事もあった。ツアーコンダクターは、「よくある事だ」と言っていた。タスマニア文化に触れた気がした。


極めつけは、ツアーコンダクターのキャラだ。濃い。桟橋をわたる時に、念のために一人ずつ渡ってください、という注意書きがあるのにもかかわらず、わっさわっさと橋の上で橋を揺らしまくる不届きものがいた。誰だ、このモラルのない観光客は!と思ったのだが、よく見ると僕らを先導するツアーマネジャーではないか!!って、日本じゃありえないでしょ、普通。注意する側でしょ、ねえ。「ゆーあーくれいじー」とだけ言っておいたけど、まあ、このツアーマネジャー、他にもいろいろと問題がある人だったので、あとは省略。皆であとで陰口たたきまくっておいた。


他には、魔女の宅急便のモデルになったといわれるパン屋に行ったり(気球の歩き方ではデマだと書いてあるが、、)、海際の砂漠で昼寝したり(僕だけだが)、カタラクトゴージで自然を満喫したりした。ワイルドライフパークでは、カンガルーが逃げずに寄ってきた。タスマニアデビルがガツガツ肉を食べ争っている光景も写真に収めた。まあ大方、30分くらいの森の散策が一番多かった。


総括すると、タスマニアは自然の美しい島だった。時間の流れもゆっくりで、そこに暮らす人々も寛大だ。国民性は、およそその国の地形から影響を受けるものだ、と司馬遼太郎は言ったが、なるほど、タスマニアの大自然の中で育った人々は、心も広くなるようだ。空が、広いのだ。僕はこの土地が、いつまでもこのままであってほしい、そう最後に思ったのだった。
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by yoshi_taka1009 | 2006-12-13 22:48
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